塩沢宿の歴史をたずねて~雪穴~

 

こんにちは、上村絵美子です。

ホームページの『極上の南魚沼、お魅せします。』や、

このブログでも何度もご紹介している、塩沢宿。

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三国街道と清水街道という、二つの大きな街道が交わる交通の要所で、

経済・文化の中心地として発展してきたという歴史があります。

三国街道は群馬県の高崎宿から長岡市の寺泊宿まで35の宿場があり、

塩沢宿はその22番目にあたります。

 

戦後は街道沿いの建物も近代化していきましたが、

平成22年(2010年)に「牧之通り」として

江戸の宿場町だった当時を思い起こさせる街並みに生まれ変わりました。

牧之通り誕生についてはこちらをご覧ください↓

極上の南魚沼・物 雁木

 

牧之通りの名前の由来は、塩沢宿出身の江戸後期の文人「鈴木牧之」。

牧之の生家は、今も通りに残る「鈴木酒店」です。

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鈴木家の本家は、牧之通りの中ほどにある「吉野屋」。

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そこから、牧之の父の恒右衛門が分家し、

「鈴木屋」という屋号で縮や薄荷などの商いを行っていました。

当時、薄荷は痛み止めや酔い醒ましの薬として販売され、

織物と並んで塩沢の名産の一つでした。

虫よけとしても使えます→【塩沢の大塚薬局の『薄荷油』】

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三国通り沿いには何件もの薄荷屋が立ち並び、

店の前には宣伝用の大きな看板が立てられました。

鈴木家の立て看板は、なんと、あの石川雲蝶の作!

9メートル近くあるとても大きな看板でしたが、薄荷の商いをやめて

不要となってからは、菩提寺である長恩寺に寄贈され、

位牌堂の装飾となっています。(一般非公開)

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長恩寺には鈴木牧之の墓も残されています。

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また、牧之の次男、弥八は青木酒造(当時は「平野屋」と呼ばれていました)

の7代目を継いでおり、青木酒造を代表するお酒「鶴齢(かくれい)」は

牧之が名付けたと伝えられています。

◆青木酒造 http://www.kakurei.co.jp/

ちなみに、青木酒造で造られているお酒の中には、

鑑評会に出品する限定品に「牧之」の名前が付けられています。

http://www.kakurei.co.jp/sake/bokushi/bokushi01.php

 

平野屋でも薄荷の商いを行っており、こちらの立て看板は

雲蝶と同時期に活躍し、雲蝶の師匠とも言われている

埼玉県熊谷出身の彫師、小林源太郎の作です。

こちらは現在、「鶴齢」の看板や内装で青木酒造に飾られていますので、

牧之通り散策の際はぜひ見上げてみてください(^^)

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さて、塩沢宿というとやはり牧之通りに注目してしまいがちですが、

今回は『雪穴』をご紹介します。

 

昔は塩沢宿に『雪穴』があったと、資料で読んだり

祖母から話を聞いたりしていました。

場所のヒントは「来清寺の裏」。

来清寺は牧之通りの南、ハーブ通りにあるお寺さんです。

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ヒントを頼りに近くを歩いていましたが、

近所の方に「雪穴」の場所をお聞きしたら

「ここだよ」と教えてくださいました。

確かに、来清寺の裏でした(^^;

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岩で囲んである場所が、昔の雪穴の跡です。

昔はここに雪を集めて、雪の上に屋根をかけて筵(むしろ)などで覆い、

雪穴を作っていたのだそうです。

石垣の高さは約1.5m。雪はそれよりも高く積み上げられていたので、

かなり多くの雪が貯蔵されていました。

昔は左(南)側はもう少し内側で土手になっており、

場所ももう少し低かったそうです。

また、現在の岩は土地の所有者が新しく置いたもので、

雪穴として昔実際に使われていた岩は、現在、来清寺の裏の石垣に使われています。

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昭和30年頃まで雪穴は使用されていて、

バケツ1杯10円くらいで雪が販売されていたのだそうです。

近所には料亭もあり、魚など食品の保冷や

子どもが熱を出したときなどに利用されていましたが、

冷蔵庫の普及とともに雪穴は使用されなくなっていきました。

雪穴には出入り口があり、(本当は出入りしてはいけませんでしたが)

夏には近所の子どもたちが中に入って遊んだりしていたそうです。

現在は「雪穴」としては残っていませんが、

「雪室」として復活しているものもありますね(^^)

【極上の南魚沼・文化 雪室】

 

また、昔は塩沢のこの一帯あたりまでは沼地が広がっていて、

雪穴跡の近くには米蔵がたくさん建っており、

船を利用して、魚野川から米が各地へと運ばれていったそうです。

 

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雪穴跡のそばには、小さなお稲荷様がありました。

その脇には、小さな池のようなもの…。

実はここは「大館清水(おおだてしみず)」という、湧き水。

ずっと昔から湧き続けているのだそうです。(飲用不可)

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「大館」というのは、

牧之通り(三国街道)とつむぎ通り(清水街道)が交わる交差点のあたりのことで、

上杉謙信が関東に出兵する際にはここに陣を置き、

清水街道を進んでいったと伝えられています。

清水街道は当時、関東方面へ向かう最短ルートだったため「早道」と呼ばれ、

現在も「早道場(はやみちば)」という名前が残されています。

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他にもお話したいことがたくさんありますが、

長くなってしまいますので、今回はこの辺で。

それでは、また。

 

記:上村 絵美子

カテゴリー: ニュース, 女子プロ観光モデルコース パーマリンク

塩沢宿の歴史をたずねて~雪穴~ への2件のフィードバック

  1. 友蔵 のコメント:

    ためになるねぇ~♪

    • minamiuonuma のコメント:

      友蔵さま

      ありがとうございます(*^^*)
      資料を読むだけでなく地域の方に直接お話を聞くことで、本当の歴史が見えてきて、私もとても勉強になりました。
      これからも、ディープな情報をご紹介していきたいです♪

      南魚沼市女子力観光プロモーションチーム
      上村 絵美子

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